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読書ノート / 古代史
「第二章 壬申紀を読みなおす」では、天武裏切説を前提に、壬申紀(日本書紀巻28)の隠れた真意を探っています。「本書は壬申の乱そのものよりも壬申紀という一個の編纂物の研究というべき内容」ですから(赤字部分)、壬申の乱の全体像は描かれていません。 「第一章 壬申紀をどう読むか」では、血統と皇位継承資格について検証しています。 534年、継体天皇が亡くなると、その子の安閑、宣化、欽明が相次いで即位します。安閑と宣化は尾張の豪族のむすめを母とする同母兄弟です。欽明は皇女を母とする異母弟です(系図は、宮内庁のサイトを参照しました)。 571年、欽明が亡くなると、その子の敏達、用明、崇峻、推古が相次いで即位します。4人の母はいずれも異なります。推古は女性です。 敏達と推古の母はともに皇女で、用明と崇峻の母は曽我氏の姉妹です。崇峻は蘇我馬子と対立し暗殺され、その後を継いで、(敏達の皇后であった)推古が即位します。 628年、推古が亡くなると、その遺詔により、敏達の孫の舒明が即位します。舒明の後は、舒明の指名により、(舒明の皇后であった)皇極が即位します。 645年に乙巳(いつし)の変が起こり、皇極が退位し、皇極の指名により、同母弟の幸徳が即位します。幸徳の死後、皇極が斉明として重祚(じゅうそ、ちょうそ)します。 以上のような皇位継承の流れから、次のように述べて、天武の皇位継承の可能性はほとんどなかったのではないかと著者は結論付けています(24〜25ページ)。
また、推古以降は前天皇の指名により新天皇が決まっていたのだから、天智の指名により天武が即位する可能性もあったのでないでしょうか。 |