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読書ノート / 中近世史
ドイツとフランスは両国政府の支援で、次のように共通歴史教科書を作成しています(独仏共通歴史教科書を東アジアで読む)。
助言者の金両基(キムヤンキ)常葉学園大学客員教授(当時、金両基氏の退職惜しむ ゼミ生が「最終講義」…常葉学園大)は、この企画について次のように述べています(6ページ)。
高校生に語りかけるような平易な文章で、ほぼ全頁にわたり、カラー写真や地図や使われていて、とても読みやすい内容となっています。 文禄・慶長の役は、8ページほどの客観的記述(新しい歴史教科書をつくる会の人たちには異論があるかもしれませんが)でコンパクトにまとめられており、一方で、陶工・李参平や降倭・沙也可など庶民に焦点をあてたサイドストーリーがふんだんに紹介されています。なお、「おたあジュリア」(32ページ)は、わらび座のミュージカルになったそうです(わらび座ミュージカル「ジュリアおたあ」公演)。読書ノート/小西行長を見直す:記録集でも、おたあジュリアが取り上げられています。
後半の朝鮮通信使の部では、対馬藩の国書書き換えの経緯や、通信使の回数や構成員など詳細に説明、さらに、行路や宿泊地、歓迎の料理などをカラー写真で紹介され、面白い読み物となっています。 朝鮮通信(よしみを通じるという意味)使の日本への派遣は、室町時代の1429年に始まり、戦国の動乱期には途絶えたものの、江戸時代に復活し1811年まで続きます。(つまり、400年近くの間、両国は友好関係にあり、秀吉の朝鮮侵略による敵対関係は特異な事態であったということもできそうです)。 しかし、幕末になって尊王攘夷運動が激しくなり、それが日本型華夷意識、征韓論につながって行きます。ただ、次のように朝鮮に小中華思想があったことも指摘しています。
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