秋九月五日、群臣に詔して熊襲を討つことを相談させられた。ときに神があって皇后に託し神託を垂れ、「天皇はどうして熊襲の従わないことを憂うれえられるのか、そこは荒れて痩やせた地である。戦いをして討つのに足りない。この国よりも勝まさって宝のある国、譬えば処女の眉のように海上に見える国がある。目に眩まばゆい金・銀・彩色などが沢山ある。
これを栲衾新羅国たくぶすましらぎのくにという(栲衾は白い布で新羅の枕詞)。もしよく自分を祀ったら、刀に血ぬらないで、その国はきっと服従するであろう。また熊襲も従うであろう。その祭りをするには、天皇の御船と穴門直践立あなとのあたいほむだちが献上した水田――名づけて大田という。これらのものをお供えしなさい」と述べられた。
天皇は神の言葉を聞かれたが、疑いの心がおありになった。そこで高い岳に登って遥か大海を眺められたが、広々としていて国は見えなかった。
天皇は神に答えて、「私が見渡しましたのに、海だけがあって国はありません。どうして大空に国がありましょうか。どこの神が徒に私を欺くのでしょう。またわが皇祖の諸天皇たちは、ことごとく神祇をお祀りしておられます。どうして残っておられる神がありましょうか」といわれた。
神はまた皇后に託して「水に映る影のように、鮮明に自分が上から見下ろしている国を、どうして国がないといって、わが言をそしるのか、汝はこのようにいって遂に実行しないのであれば、汝は国を保てないであろう。ただし皇后は今はじめて孕みごもっておられる。その御子が国を得られるだろ」といわれた。
天皇はなおも信じられなくて、熊襲を討たれたが、勝てないで帰った。
九年春二月五日、天皇は急に病気になられ、翌日はもう亡くなられた。時に、年五十二。すなわち、神のお言葉を採用されなかったので早く亡くなられたことがうかがわれる。
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