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読書ノート / 中近世史
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著者によれば、次のように述べ、貧乏天皇のイメージが定着したのは、近世(江戸時代)以降に語り継がれてきたものであって、それは研究者によって実証されたものではないとしています(13ページ)。
一方、貧乏天皇を主張する論者として本書に度々登場するのは、永原慶二氏です。 第5章「天皇はなぜ生き残ったのか」では、両者の主張を検証しています。 本書の目次は、次のとおりです。 第1章から第4章までは、室町時代中期から戦国時代の天皇を扱っていますが、英明な天皇と無能な将軍という構図が基調にあるようです。 「43日間も葬儀ができない」「21年間も即位ができない」「官位を売る」は、天皇家の窮乏を物語っているようですが、幕府の衰退により財政的後ろ盾を失った歴代天皇の苦悩と苦闘を描くことに力点が置かれています。
第5章「天皇はなぜ生き残ったのか」では、「貧乏天皇」についてテーマごとに検証しています。 ◇天皇は貧乏だったか この点については、次のように今谷明氏と永原慶二氏は真っ向から対立しています(240〜241ページ)。
![]() 1石は150キログラム、米10キロは安いものなら3000円ぐらいで売ってますから、3万石で13億5000万円ということになります。米10キロ5000円で計算しても22億5000万円。このうち農民の取り分もありますから、実質的収入は7〜11億円ぐらいとなります。現在の皇室費は約60億円ですから、その9分の1から6分の1ぐらいということになります。 戦国時代も同程度の領地があったとしても、幕府の支配体制が十分機能していないですから、収入はさらに減ると考えられます。したがって、日々の生活はともかく、葬儀や即位などの特別行事を行うのは相当に困難であったろうと想像できます。 ◇官途の有効性 官途や受領(ずりょう)は統治の実体を失った律令制の官職ですから、空疎な単なる肩書きに過ぎません。官途と受領の関係については、国会図書館のサイトに次のような説明があります(トップ>調べ方案内>歴史・地理>歴史>戦国武士の官職名(官途・受領名))。官途は中央での官職(今の警察でいうならば警察庁長官)、受領は地方での官職(今の警察でいうならば各県警本部長)、位階は役人としての身分(今の警察でいうならば警視監や警視長など)という関係です。 浅野・内匠頭(たくみのかみ)は官途名、吉良・上野介(こうずけのすけ)は受領名です(すみだ学習ガーデン/すみだあれこれ/すみだの大名屋敷>官途・受領名、特定非営利活動法人すみだ学習ガーデンは解散したのでリンクは切れています
官途や受領などの官職名を名乗ることが、戦国大名の支配強化に役立ったかどうかが、この論点です。官途や受領は空疎な単なる肩書きに過ぎませんから何ら実利はなかったと考えるのが自然で、著者も同様の意見です。ただ、大金を払った以上、何らかの効果は期待していたであろうと述べています。 戦国大名と直取引が天皇の権威強化に役立ったかについては、著者は次のように述べています(250〜251ページ)。
◇戦国期に天皇の権威は浮上したか 戦国期には、将軍権力の低下に伴って、天皇の権威が浮上したという説があります。永原慶二氏は次のように浮上説に立っているそうですが、著者は否定的です(258〜260ページ)。
著者は、参考文献として、桐野作人「織田信長 戦国最強の軍事カリスマ (新人物文庫) 」、堀新「織豊期王権論 (歴史科学叢書)」 を挙げています。 |