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読書ノート / 中近世史
1582 山崎の合戦 1583 賤ヶ岳の戦い 1584 小牧長久手の戦い 1585 関白任官、四国平定 1587 九州出兵 1588 聚楽第行幸 織田家の一家臣に過ぎなかった秀吉は、信長死後まもなく、その勢力圏を引き継ぎ、わずか5年で東北・関東を除く日本全国を支配下に収めてしまいます。 この成功を可能にしたのは、秀吉と家臣団の軍事力、政治力、経済力だったのであり、その実態はどうだったのか、大いに興味の惹かれるところです。聚楽第行幸は、いわばその成果のお披露目だった言っていいでしょう。 この聚楽第行幸について著者は次のように述べています(42ページ)。つまり、著者は、もっぱら家格による武家衆の身分秩序という観点から豊臣政権の実態を探ろうとしているように思われます。
秀次を失脚させ、切腹に追い込んだ張本人は石田三成であるとする「三成讒言説」について、著者は次のように反論しています(83ページ)。つまり、豊臣宗家の家格を維持するという目的があったのだから、秀次を切腹させるはずがないというものです。
結局、本書の力点は、武家家格から豊臣政権を検証することに置かれ、石田三成に関する記述は、仮定や推論が目立つように思われます。
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