top /
読書ノート / 中近世史
小西行長は豊臣家臣で熊本県南部(宇土、八代、天草など)を領有したキリシタン大名ですが、関が原の戦いでは、石田三成の西軍に味方し徳川家康と戦って破れ、打ち首となっています。また、熊本県北部を領有した加藤清正と対立したため、戦前には忠臣清正に対する敵役と描かれるようになります。1980年、宇土城跡に建てられた行長の銅像(本書の表紙にもなっています)は、「銅像を打ち壊す」「公費の無駄遣い。許せない」といった怒りの声が寄せられたため、除幕式の翌日から2年近くトタン板で覆われていたそうです(「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長)。なお、本書執筆の時点では、行長の肖像画は確認されていないそうです(銅像は誰をモデルにしたのでしょうか)。 そんな行長像を見直そうというのが、宇土市のこの企画です。小西行長について書かれた本はほとんどなく、何となくぼんやりとしたイメージしかありませんでしたが、この本を読んで、ようやく行長像が見えてきた感じがします。 本書の内容は次のようになっています。前半がシンポジウム、後半が講演会の記録という構成です。
講演会第1回「小西行長とは何者か−その生涯の実像に迫る−」の講師は、八代市立博物館学芸員の鳥津亮二氏です。 この講演では、行長の生涯が紹介されています。イエズス会の記録によると、行長は1558年、京都に生まれたそうです。後世に書かれた記録では、行長は商人の子であると書かれていますが、そのような確証は一切なく、父の立佐(りゅうさ)は堺出身ではあるけれど職業はよく分かっていないということです。イエズス会の記録によると、一族はすべてキリシタンだったそうです。 絵本太閤記などの伝記などには、もっともらしい逸話が載っていますが、子どもの頃の行長についてはよく分からないそうです。1586年のイエズス会の報告書によると、行長は岡山の宇喜多家の旧臣であったということですから、当初は宇喜多家に仕えていたようです。1579年の信長の手紙に、小西(行長?)の手柄の話が出てくるので、信長に味方して戦ったと推測されます(このころ宇喜田氏は毛利を離れ織田方についています)。 1581年末ごろから秀吉に仕え、出世して行きます。当時の書状から、行長は海上輸送を担当していたことが分かります。イエズス会の宣教師は行長を「海の司令官」と呼んでいます。1587年の宣教師追放令後も、キリシタンであること処罰されることはなく、出世を続けます。 1588年に、熊本南部の宇土、八代、益城、天草に領地を与えられ大名となります。その後、1600年まで12年間支配を続けますが、朝鮮との交渉や出兵を担当したため、トータルの宇土滞在期間は1年半程度だったようです。 文禄の役の後の講和交渉決裂の事情について、鳥津亮二氏は次のように述べています(81〜83ページ)。
講演会第2回「小西行長と宇土・八代−行長はこの地で何をしたのか」の講師も鳥津亮二氏で、宇土、八代、益城、天草の領主時代(1588〜1600年)を主に取り上げています。 行長が寺社を弾圧したという話については、鳥津氏は否定的です。 その理由として、1587年の宣教師追放令の影響もあって、秀吉の存命中は行長はキリスト教布教には熱心でなかったこと、当時の史料では行長が寺社の破壊を命じたという記録が一切出てこないことをあげています。当時、寺社が衰退する傾向があったが、それは太閤検地により経済的地盤が失われたのが原因であり、それは全国的な現象であったと指摘しています。 秀吉が死んで慶長の役が終わり、行長が帰国した1599年ごろ、宇土、八代地方でキリシタンが爆発的に増えたという記録がイエズス会の日本年報に残っているそうです。その際、信者らが寺社を攻撃した可能性はあるものの、行長がそれを組織的に行ったという記録はないそうです。 行長と、おたあジュリアの関係については、次のように述べています(104ページ)。
講演会第3回「小西行長と関ヶ原合戦・加藤清正の宇土城攻め」の講師は吉村豊雄・熊本大学教授(当時)で、大名としての行長を取り上げています。 吉村氏は、行長の大名としての基本的性格を見る観点として、@中央官僚としての側面、A強い領国姿勢、B清正との共同統治、C定型化した行長像の4点を挙げています。 @行長は、「取次」として秀吉の意思を四国・九州の大名に伝達する役目も担っていました。いわば外交官僚として各地を飛び回り、領国を長期にわたり不在にしていました。A行長は自分が長期留守にしても良い様に、入国段階に領国に対し強い軍事態勢を取りました。B秀吉は、肥後に行長と清正を配し共同統治させる意図がありました。C行長像は、キリシタン大名、商人出身、朝鮮侵略の講和派と定型化されています。ただ、行長の外交交渉には知られざる裏があるのではないかと、次のように述べています(123ページ)。
|