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読書ノート / 近現代史
幕府歩兵隊とは、幕末の1862年に創設された洋式の歩兵部隊(総勢8000人程度?)です。兵員は知行地から徴収された近郊農民ですが、江戸で雇い入れた傭兵(町人?)もいました。 武士の部隊ではない点は長州の奇兵隊と同じですが、奇兵隊が郷土防衛の意識の高い志願兵であったのに対し、幕府歩兵隊は徴兵や傭兵であったという違いがあります。それでも、幕府歩兵隊は長州戦争や鳥羽伏見の戦いでは幕府軍を支え、1868年の幕府瓦解後も主力部隊は江戸を脱走し、1869年に函館で降伏するまで戊辰戦争の影の花形となって各地を転戦し活躍しました。 将軍に対してさほどの恩義があるようにも思えない徴兵・傭兵集団が、瓦解した幕府に最後まで忠誠を貫いたのも不思議に思えますが、その点について著者は次のように説明しています(22〜23ページ)。つまり、素人の徴兵・傭兵集団は戦歴を重ねるにつれ、プロの兵士集団(戦争請負人)へと変貌したということでしょうか。
ゲベール銃とミニエー銃 著者は、当時の世界の銃器事情を次のように説明しています(74ページ)。
その結果、ミニエー銃はゲベール銃よりも、次のように弾丸の飛距離と命中率が大幅に向上しています。
長州は竜馬の仲介でミニエー銃購入 長州はミニエー銃の威力を早くから認識していたようで、そのあたりの事情を次のように説明しています(107ページ)。この記述からは、長州がミニエー銃を購入したのは、1864年8月のようにも取れますが、1865年8月ではないかと思われます。いずれにしても1866年6月の長州戦争の直前に、ようやく最新のミニエー銃を入手したことには違いはないようです。
井伊の「赤備え」はあっけなく敗退 長州戦争で幕府軍先鋒の井伊家の軍勢があっけなく敗退する様子を次のように述べています(120〜125ページ)。時代錯誤の井伊勢は滑稽であると同時に哀れにも感じられます。
「戦闘」の概念を一度に変えた ミニエー銃という新兵器登場により一変した戦場の様子を次のように赤裸々に描いています(126〜128ページ)。15万ともいわれる大軍を動員した幕府がどうして長州1藩に負けたのか長く疑問に思っていましたが、この記述を読んで長年の疑問が氷解した感じがします。
幕府歩兵隊は強かった このような劣勢の中で、幕府歩兵隊の活躍を次のように説明しています(133ページ)。
実戦データから幕末戦争の実像に迫るこの本を読んでみて、近代戦の主役は新式銃と平民兵士であり、徳川の武士社会は滅びるべくして滅んだのだと、つくづく実感しました。 |