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読書ノート / 近現代史
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「太平洋戦争で京都や奈良が戦災を免れたのは、文化財を守るためアメリカが空襲を控えたためだ。それはウォーナー博士の尽力によるものだ」という美談が語り継がれています。しかし、京都が戦災を免れたのは、原爆投下の筆頭候補地だったからであり、ウォーナー伝説は意図的に作られた虚構にすぎないと著者は主張し、その立証に挑んでいます。 「第1章 ウォーナー博士は古都を救った恩人か?」では、まず、《ウォーナー伝説》の由来を説明しています。ウォーナー博士が、古都京都・奈良の爆撃の中止を大統領に進言したという噂(うわさ)話は、戦時中からあったといいます。そして、戦後に新聞がその功績を事実として報道したことにより、「伝説」が定着した。その「伝説」とは、ウォーナー博士が、(文化財保護を目的に設立された)ローバーツ委員会に、文化財リストを提出し、空爆からの除外を懇請し、それが功を奏したというものです。 しかし、ローバーツ委員会からアメリカ政府に提出された報告書のコピー(著者がボストンの図書館から入手)を調べたところ、同委員会の主要な目的は、ナチスによって略奪された美術品を返還させるための準備を行うことであったといいます。 このような事情は、次のように、新聞でも詳細に報道されたといいます(48〜49ページ)。
「報告書」によれば、ロバーツ委員会の目的は、略奪された文化財を取りもどすことにあったわけで、「文化財リスト」は略奪された文化財の保管場所を特定するためのものだったといいます。さらに、「文化財リスト」は「弁償」用の文化財を選別するためのものでもあったと著者は指摘します。略奪された文化財が取り戻せなかった場合、略奪国が所有する同程度の価値を持つ文化財で「弁償」させることも、ロバーツ委員会の目的であったのであり、「文化財リスト」に略奪国所有の文化財が含まれているのは、そのためだというのです。 ただ、「文化財リスト」がそのようなものだったとしても、「弁償」用文化財として、空襲を免れたという効果はあったという意味で、「保存」に役立ったといえなくはないように思えます。 この点について著者は、そのような意味でも「保存」に役立ったという可能性は考えられないと、次のように指摘しています。
「第2章 京都に原爆を投下せよ!」では、京都が原爆投下の筆頭候補地だったという驚くべき事実が、米国の公文書によって明らかとされます。 1945年5月10日と11日、アメリカ・ニューメキシコ州で、原爆投下の目標を選定するための第2回目の委員会(議事録のコピー、76ページ)が開かれました。候補地として、次の5箇所が上がっていましたが、2発の原子爆弾に対して、予備の目標を含めて、新潟を除く4箇所が選ばれました。なお、議事録のコピーを見る限りでは、皇居への原爆投下も議論されたことが伺えます。結局、政府と軍部の最高首脳が決定すべきことだとしながら、 皇居への原爆投下の効果については、情報収集を続けることになったようですが。
![]() しかし、古都京都がなぜ筆頭候補地となったのでしょうか。 委員会の会議録によれば、@都市地域が直径3マイル(4.8キロメートル)以上の広さ、A爆風が最大の効果を発揮できる地形等、B8月の原爆投下まで空襲を受けていないこと、の3点が基準として挙げられていたといいます。つまり、新兵器の実験地として、原爆の威力を検証するのに適しているかどうかが、選定の基準となったわけです。 そして、この基準に照らして、京都が最適地とされたということです。 原爆関係極秘文書の中から発見された地図(下に引用)によれば、梅小路機関車庫が原爆投下の標準点とされ、そこを中心に直径3マイル(4.8キロメートル)の円が描き込まれています。 これを、広島と長崎の原爆投下地図と比較すると、上記の基準の意味がよりいっそう明らかとなります。広島の場合は、被害地が完全に直径3マイルの円内に収まってしまいます。長崎に至っては、被害地は直径3マイルの円内のほんの一部に過ぎません。つまり、都市地域が狭すぎる上、地形に邪魔されて原爆が十分の威力を発揮できないのです。 原爆の実験地としては、上記の基準@Aに照らして、広島でようやく合格点、長崎は明らかに落第なのです。
![]() 「第3章 京都の運命」では、筆頭候補地とされた京都が、原爆投下対象から除外されるに至った経緯が説明されています。 京都に原爆を投下するかどうかについては、陸軍長官のヘンリー・スチムソンと、現場責任者であったレスリーグローブズ少将との間に激しい意見の対立が、最終決定直前まで続いたが、結局、スチムソン長官が現場の反対を押し切って、除外を決定したといいます。 このことから、「スチムソン恩人説」が、オーティス・ケーリ元同志社大学教授らによってとなえられていることについて、著者はそれを「新しい伝説」だと批判しています。 スチムソンが京都を除外したのは、文化財保護のためではなく、戦後の国際情勢をにらんだ政治的配慮によるものだと、著者は次のように述べています(159〜160ページ)。
「終章 《ウォーナー伝説》を創作したのはだれか?」では、「ウォーナー伝説」は、GHQがそれが真実であると断定したから広く流布するようになった指摘しています。 結果として、京都が戦災を免れたこと、それを文化財保護を目的としたものであると日本側が誤解したこと、それをGHQが利用しようとしたことは否定できないように思えます。ただ、それを「創作」と呼べるかは判断の分かれるところでしょう。 |