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読書ノート / 近現代史
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文庫本の解説(458ページ)によると、解説が書かれた1993年時点で、高校日本史教科書20冊のうち、この事件を扱っていたものは4冊以下だったそうです。 また、崔文衡「閔妃は誰に殺されたのか:見えざる日露戦争の序曲」(2004年)の訳者あとがき(221〜224ページ)によると、琉球大学の学生142人にアンケートを取ったところ、「全く知らない」84人、「聞いたことはあるが、事件の詳細については分からない」42人、「よく知っている」14人、無回答2人だったそうです。「よく知っている」と答えた14人のうち9人は、閔妃殺害に関する特殊講義を事前に受講していたということです。沖縄県の高校で使われている日本史の教科書13冊のうち、閔妃殺害を扱っていたのは6冊に過ぎず、しかもそのほとんどが欄外の記載だったということですから、上記アンケートで6割が「全く知らない」と答えたのも無理はないのかもしれません。 ただし、近年では大学入試でも、この事件が出題されるようにはなっているようです(大学入試・日本史に出題される閔妃暗殺事件)。 いずれにしても、本書が出版された1988年ごろは、一部の研究者以外の、ほとんどの日本人は、王妃殺害の事実も知らなかったものと思われます。そんな頃に、日本のノンフィクション作家が、この事件を取り上げ、35万部以上のロングセラーとなり(角田房子3部作−韓日関係100年を読む)、日本で出版されたその年に韓国語訳が出版されたことは、日本のみならず韓国においても、日韓現代史への理解を高めるのに多大な影響を及ぼしたものと思われます。韓国でも、閔妃(明成皇后)が見直されるようになったのは、この20年ほどのことだそうです(知っていますか明成(ミョンソン)皇后)、KNTV ドラマ 明成皇后)。 本書は、崔文衡「閔妃は誰に殺されたのか:見えざる日露戦争の序曲」によって、「真実にそっぽを向き、「小説」を書いた日本女性に、わが国の読者たちはもちろん、知識人たちまでもかなり篭絡された感じは否めない」と激しく攻撃されています。それを受けてか、アマゾンの批判的レビューでも「小説」と攻撃されています。崔文衡「閔妃は誰に殺されたのか:見えざる日露戦争の序曲」は、本書が「陸奥宗光や伊藤博文など政府首脳が殺害に直接関与したという確証は見つからなかった」としていることを批判しているので、矛先は逆方向ですが、韓国歴史家と日本のネット右翼に奇妙な共闘が成立しているようです。 本書は、ノンフィクション作品であり、歴史書ではありません。ただ、歴史小説かというとそうも言えない気もします。小説=フィクション=虚構、とするならば、司馬遼太郎作品は、(考証の甘さに批判もありますが)歴史事実に基づいていますから、ノンフィクションとも言えそうですが、やはり、歴史小説だと思います。司馬作品の特徴は、歴史を題材に、独自の文明論・歴史像を展開していることにあり、むしろそちらの方に力点を置いているように感じられるからです。 その点、本書は、王妃殺害の真相を探ることに主眼があるから、小説ではなくノンフィクション作品だと思うのです。しかし、歴史書とは言えなと思います。それは、想像による心理描写を行っているからです。 たとえば、閔妃が王宮に入ったばかりで、孤独で無力だった時代を、次のように描写しています(75ページ)。
一方、歴史事実については、極力、想像を排しているように思われます。たとえば、事件と日本政府の関係について、次のように述べています(430ページ)。
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