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読書ノート / 近現代史
東行記念館と萩博物館には、高杉晋作の遺品が多数保存されており、著者は学芸員(幕末長州の歴史研究者)として、その整理と保管に携わってきました。著者は、そのような研究者の立場から、司馬遼太郎が描いた吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作の歴史像に検証を加えています。 著者は、政治家や実業家が司馬遼太郎作品を愛読書に挙げ、その主人公に、自分自身の姿を重ね合わせるという現象について、次のように述べています(10〜12ページ)。
松陰は革命思想家だった? 明治後半期には、吉田松陰関係の書籍の刊行は2年に1冊程度でした。大正期には、年1冊程度のペースとなり、昭和に入って急増し、年5冊以上のペースとなります。戦後は、年1冊半程度のペースに落ち着きましたが(吉田松陰 変転する人物像(中公新書))、今世紀に入って少し増える傾向にありました。そして、2015年放送のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、松陰の妹文が主人公となったことから、2014年後半から2015年前半にかけて、一挙に25冊ほどが刊行されました。まさに、大河ドラマ恐るべしです。 明治の前半は、簡単な伝記以外は、松陰に関する書籍はほとんど発行されていなかったようですから、全国的な知名度はさほどでなかったのかもしれません。1893(明治26)年に、最初の本格的な吉田松陰論として、徳富蘇峰の「吉田松陰」(民友社)が出ますが、そこでは松陰は反体制の革命家と描かれているようです。しかし、蘇峰が平民主義者から帝国主義イデオローグに急旋回したことにより、1908(明治41)年の改訂版では、「革命」が「改革」に置き換えられます。昭和に入ってからは、松陰伝は、教育者像に圧倒的比重をかけたものとなっていきます。しかし、軍国主義の進展によって、忠君愛国の殉国教育者として祭り上げられた松陰が、戦争遂行の思想動員にフルに活用されます。一方、革命家としての松陰はテロリストの側面も持っています。いずれにしても、松陰はどのような描き方をしても、マイナスのイメージを伴うことは否定できません。 著者によると、司馬遼太郎は、そんな松陰を革命家として描いているそうです(50ページ。)
武勇伝3点セットは史実とは確認出来ない 著者によると、高杉晋作には、武勇伝3点セット(御成橋・箱根関所・加茂行幸)というものがあるそうです。 御成橋事件とは、文久2年(1862)11月28日、大赦令が出て(罪人として葬られていた)松蔭の改葬が許されますが、文久3年(1863)1月5日、改葬の途中で、晋作が松蔭の遺骸を持って、将軍しか渡れない上野の三枚橋の中の橋(御成橋)を渡ったというものです。 箱根関所事件とは、晋作が駕籠に乗ったまま箱根の関所を破ったというものです。 加茂行幸事件とは、文久3年(1863)3月11日、孝明天皇の攘夷祈願の加茂行幸に随従させられた将軍家茂に対して、晋作が「いよう。征夷大将軍」と声をかけたというものです。この武勇伝3点セットについて、著者は次のように述べています(110〜111ページ)。
龍馬は、万国公法を使っていない 著者は、「竜馬がゆく」で司馬遼太郎が描いた史実と、史料から明らかとなった史実との食い違いを指摘しています。いくつかをトリビア風に紹介します。
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