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読書ノート / 古代史
「日本書紀についての記述」では、正規の史書「日本書」の構想が挫折し、その一部である「紀」だけが残った経緯を述べ、古事記との叙述方法の違いを解説しています。 「古事記についての記述」では、もっぱら古事記偽書説を取り上げています。「序文は偽造されたが、本文は偽造されていない」というのが著者の結論です。この結論を主張するのが、本書の主な目的ではないかと、私は考えます。この稿は、古事記学会2004年度大会のける招待講演「古事記「序」を疑う 」の原稿が元になっています。内容は、ほぼ同じです。 「常陸国風土記についての記述」では、常陸国風土記に倭武天皇という呼称が出てくることを解説しています。この部分は紙数も少なく付録のようなものです。 「日本書紀」は「日本書 紀」だった 古代大和王権が国家となるため、当時の支配者が最も重視したのが、法の整備と正史編纂であり、それは7世紀初頭に萌芽し、8世紀初頭の養老律令と日本書紀により完成したと、著者は考えています(12〜14ページ)。 中国の正史は、通常は、紀・志・伝の3つがそろい、全体としては書と呼ばれます。たとえば、漢書は、「帝紀および表」「志」「列伝」の3つからなっています。帝紀は編年体で書かれた皇帝の事跡、表は年表および世系表、志は地理・法制・経済などの記録、列伝は臣下の伝記です。 日本書紀は帝紀の部分しかないので、そのことを示すため、当初は「日本書 紀」という書名であったが、それが転記されているうちに、「日本書紀」になったというのが、著者の考えです(15〜16ページ)。風土記は「日本書 志」編纂の資料とするため、地方の役所に提出させた報告書だったが、計画は資料集めだけで頓挫したと著者は見ています。また、「日本書 伝」構想らしきものはあったのではないかと推測しています。 以上をまとめると次のようになります。
β群の範囲とほぼ重なる 古事記は、上巻(神代)、中巻(神武〜応神)、下巻(仁徳〜推古)の3巻から成っています。日本書紀と比較すると次のようになります。日本書紀の巻1〜巻13と巻22はβ群、巻14〜巻21はα群ですから、巻14〜巻21が先に出来上がっていたことになります(読書ノート/日本書紀の謎を解く)。古事記は、仁賢以降の記述は簡略化されていますから、実質的に神代から顕宗までを扱った書物といえます。つまり、古事記の扱っている範囲は、日本書紀のβ群の範囲とほぼ重なっています。
異伝は、日本書紀の歴史叙述からは排除? 日本書紀の神話叙述はかなり特殊な形態となっています。神代紀2巻の全体は11の段落に分けられ、それぞれの段落ごとに、「一書(あるふみ)に曰く」というかたちで、1本から11本の異伝を並記しているのです。また、古事記では、出雲神話は神話の4分の1を占めていますが、日本書紀では、2つの異伝に顔を出すだけです。 このような形態となっている理由について著者は次のように推論しています(62〜63ページ)。
8世紀末から9世紀にかけて、氏族の神話というべき「氏文(うじぶみ)」が出現します(77〜79ページ)。これらは、日本書紀に依拠しながら、自氏の固有性と由緒正しさを主張しようとする書物です。主なものは次のとおりです。これらは、神代紀の異伝の延長上にあるのでしょうか。
残虐で狡猾なヤマトタケル 日本書紀の巻3以降の各天皇紀は、編年体の体裁をとり、天皇の事績を中心に年月を追って記述しています。一方、古事記の中・下巻は、独立した説話の羅列あるいは累積としてしか存在しません。 日本書紀と古事記は、叙述方法だけでなく、叙述内容もかなり異なっています。著者は、ヤマトタケルを例にとって、次のように説明しています(1〜3ページ)。
古事記「序」には大きな疑問 古事記「序」は、古事記編纂の経緯を次のように述べています(古事記をそのまま読む)。
一方で、日本書紀によれば、天武天皇は681年に、次のように史書の編纂を命じています(23ページ)。
この点について、著者は次のように述べています(26ページ)。古事記「序」には大きな疑問がありそうです。
序文偽作説は風前のともし火? 著者は、「古事記の序文は後から付けられたもので、その時期は九世紀初頭であろう、そしてそれを書いたのは、多氏あるいはその周辺の人物であろうと考えています」(古事記「序」を疑う)。多氏一族は太安万侶の子孫です。著者は安万侶に仮託して序文が書かれたと推測しています。 こう考えると、天武天皇は、古事記の編纂は命じていないことになります。そして、「なぜ、日本書紀と古事記という性格の異なる史書の編纂を同時に命じたのか」という疑問は解決できます。 序文が後世に付け加えられたものだが、古事記本文は7世紀半ばには書記化され書物として存在していたと、著者は推測しています。ただし、具体的根拠は示していません。 序文が後世に付け加えられたものだとする説は、在野の研究者、大和(おおわ)岩雄が『古事記成立考』(大和書房、1975年)で提唱しています。大和岩雄は、『新版 古事記成立考』(大和書房、2009年)や『 『古事記』成立の謎を探る』(大和書房、2013年)で積極的に自説を展開しています。 大和岩雄は、「原古事記というべきものは天武・持統朝に作られており、それを太安万侶で代表されるオホ氏の手で、百年の中断の後、表記を整理し撰録し直したのが、現存『古事記』」だとする立場だそうです(145ページ)。古事記「序」に疑いを向けるという意味では、著者と同じ立場です。 ただし、序文偽作説には支持者は少ないようで、その状況を著者は、『古代史研究の最前線 古事記』(洋泉社、2015年)で次のように述べています(同書183ページ)。
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