top /
読書ノート / 古代史
当初は唐人が述作を担当した 述作者は誰かについて、筆者の結論をまとめると次の表のようになります。 日本書紀の述作が本格的に始まったのは持統3年(689)からですが、担当したのは続守言(しょくしゅげん)と薩弘恪(さつこうかく)の2人の唐人です。続守言は、660年の唐/新羅連合軍と百済との戦いで俘虜となり。百済から献上されて661年に来朝しています。薩弘恪の来朝の経緯は不明です。 続守言が巻14「雄略紀」から、薩弘恪が巻24「皇極」から述作を始めますが、続守言は巻21「崇峻紀」の終了間際に倒れ、薩弘恪も巻27までの述作終了後、700年に卒去します。山田史御方(やまだのふひとみかた)がその後を引き継ぎますが、学問僧として新羅に留学したことはあるものの、中国原音(唐代北方音)は聞き分けられず、正格漢文も綴れません。714年に、紀朝臣清人(きのあそみきよひと)と三宅臣藤麻呂(みやけのおみふじまろ)が編纂に加わります。清人は巻30を担当し、藤麻呂は全体にわたって漢籍による潤色を加え、若干の記事を加筆し、720年に完成しました。
β群には現実離れした叙述が目立つ 日本書紀の述作は、α群→β群の順で行われましたが、β群には、アマテラス神話や神武東征、神功皇后の新羅征伐、聖徳太子伝説など現実離れした叙述が目立ちます。
編修方針に大きな変革 α群からβ群への転換の状況について、著者は次のように述べています(227〜228ページ)。当初は、唐や新羅に誇れる正史を格調高い正格漢文で作成する予定だったようですが、途中で方針を転換し、神話や伝説など物語を盛り込み和風の味付けを施したようです。古事記は、上巻(神代)、中巻(神武ー応神)、下巻(仁徳ー推古)という構成になっていますから、これらの神話や伝説を主な内容としています。古事記は、「711年秋に元明天皇が安万侶に命じて阿礼の口誦を撰録させ,翌年正月に完成した」(百科事典マイペディア)ということですから、日本書紀の編集方針変革期に著述が始まり、短期間で完成したことになります。
「漢国の言」で記され「後代の意」に汚されている 日本書紀は漢文で書かれ、古事記は和文で書かれています。両書についての本居宣長(1730~1801)の考え方を、著者は次のように説明しています(4〜5ページ)。 本居宣長の言わんとするところは、「日本語で書かれた古事記こそが上代の真実を伝え、日本書紀はそれを中国語に翻訳しているから真実は得られない」ということのようです。物語としての神話は、中国語に翻訳してしまっては面白さが薄れるとは言えるかもしれません。
中国語学の知識を使って探検に出発 著者は、本居宣長の古事記における国語学上の発見を評価しつつ、宣長が古事記という「山桜の林」を愛でるのみで満足し、日本書紀という「梅や桜、松、竹の繁茂する森」に分け入らなかったことを批判しています。そして、中国語学の知識を使って、「日本書紀の森」の探検に出かけます。著者によると、「日本書紀の森」の概念は次の図のようになっています(7ページ)。日本書紀は漢文で書かれていますが、和歌や日本語の人名は万葉仮名で表示されています。ただし、中国語と日本語では発音が異なるので、音韻学により分析すれば、「唐人の使う仮名=竹」と「倭人の使う仮名=松」には明確な差異が認められます。また、訓詁学で分析すれば、文章についても「唐人の作る漢文=梅」と「倭人の作る漢文=桜梅」には、明確な差異が認められます。したがって、竹と梅は同じ領域=α群に含まれ、松と桜梅は同じ領域=β群に含まれるはずです。しかし、α群にも桜梅が存在し、β群にも梅が存在します。その理由を解き明かすことにより、日本書紀の述作者に迫るのが、この探検の目的です。 津田の主張を補強するのが狙い 著者は、次のように述べて(27〜29ページ)、宣長が「古事記が史実や古来の伝承のみを載せており、何らの作意はないと妄信した」と批判しています。 文中にある益根とは、尾張藩士、河村益根(ますね、1756〜1819)のことで、父の秀根(ひでね)と共に『書紀集解(しょきしっかい)』(1785)を著しました。益根は、古語の意義を帰納的に研究する訓詁学を提唱し、日本書紀の文章の典拠を徹底的に調べ上げ、漢籍による潤色部分を析出し、潤色以前の姿を明らかとしました。しかし、そこに作意や捏造があるとは考えなかったようです。 文中にある津田とは、早稲田大学の文献学者、津田左右吉(そうきち、1873〜1961)のことです。津田は、記紀の記事内容を比較研究し、応神朝以前の皇室系図の史実性に疑問があること、神話は天皇の統治を正当化するために作られたことなどを公然と指摘し、大正年間に次々と著作を発表しました。1940年、津田の著作は発売禁止となり、その2年後には、皇室の尊厳を冒涜する文書を著作したとして有罪を宣告されます。 宣長や益根の用いた言語学的手法を使って、津田の主張を補強しようというのが、本書における著者の狙いだと思われます。
|